【ライブレポート】12/21 第8回本公演 "PEOPLE 1の世界" DAY1
第8回本公演
“PEOPLE 1の世界” DAY1
2024.12.21(Sat) 東京・有明アリーナ
文:天野史彬 写真:renzo masuda
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「自由」というものが本当に存在するのかどうかはわからないが、自由になろうとあがくことはできる。あがくことしかできない、とも言えるが、それでも彼らは「アイワナビーフリー!」と叫んだのだ。悲鳴のような、強い意志のような、叫び。それが彼らの産声だった。「あがくこと」=「表現すること」=「生きること」。まるで、そんなふうにこの5年間を歩んできたバンドの、ひとつの集大成のようなライブだった。12月21、22日の2日間にわたり有明アリーナで開催されたワンマンライブ、第8回本公演「PEOPLE 1の世界」。私は初日公演を観た。
開演時間の30分くらい前に、本公演の、そしてバンドのテーマカラーである赤色の照明に染め上げられた会場に入ると、メインステージには「PEOPLE 1の世界」というライブタイトルが大きく掲げられている。そして、そのメインステージから伸びる花道の先、アリーナの中心に設置されたセンターステージは、バンドのキャラクターである犬が首から下げている、あのタンバリンのような大きな首輪を想起させるデザインになっているのが見えた。よく見れば、メインステージ上も首輪のセットになっている。首輪の上で歌い踊る――もしそんな意味が込められているのだとしたら、それはPEOPLE 1らしい皮肉であり、そしてやはり、彼ららしいあがきである。私が会場に入った時にはBGMにはRadioheadの“Idioteque”が流れていた。その後もBGMは宇多田ヒカルの“In My Room”、Tempalayの“かいじゅうたちの島”、MIKAとAriana Grandeの“Popular Song”、No Busesの“Rat”やCHVRCHESの”Gun”……と続いていく。挙句の果てにはJUDY AND MARYの“ドキドキ”まで流れていた。曲名を見てもらえればわかると思うが、すべてPEOPLE 1の楽曲のタイトルに紐づくものばかりである。「冗談なの? 本気なの?」そんなことをDeuに問いたくなる。
ライブはモニター上の映像演出で幕を開けた。「PEOPLE 1とは?」そんな問いに対して、誰かはわからないが様々な人々が回答している音声が流れてくる。しかし、まるでコラージュのように編集されているので、明確な答えはひとつも聞こえてこない。最後の最後に、聞き覚えのある声、Deuの声が、ただひとつの明瞭な答えを突き付ける。「PEOPLE 1とは、君が今から見るすべて」。その瞬間、ワン、ツー、スリー、フォー!という強烈なカウントが聴こえると、暗転していた会場の照明が再び真っ赤な照明に照らされ、セッティングしていた5人――Deu、Ito、Takeuchi、サポートのHajime Taguchiとベントラーカオル――が演奏をはじめた。1曲目は“アイワナビーフリー”。やはり、ここからはじまるのだ。退屈、不安、孤独。そこから生まれる、自由への飢え。演奏は重い。存在の重み。叫びの重み。その「重み」がぶつかってくる。サイドのモニターには歌詞が表示されており、初っ端からステージ上には火柱も豪快に上がっている。音も、色も、言葉も、体温も、すべてを使って、PEOPLE 1は存在証明する。自由を求めてあがき続ける魂の存在を証明する。演奏は“さよならミュージック”に続く。“アイワナビーフリー”同様、彼らの最初の作品集である『大衆音楽』に収録されている楽曲。真っ赤に染め上げられていた会場は一気に明るくなり、煌びやかな照明が包み込む。さらに、モニターにミュージックビデオを映し出しながら演奏された“鈴々”、そして“ハートブレイク・ダンスミュージック”へと続く。《この胸の痛みをどうすりゃいいの!》――こんな歌詞を、アリーナ会場に集まった大観衆で一斉に歌う。嘘くさい解決や答えを歌うより、こっちのほうがよっぽど希望がある。
MCでDeuは今回のライブ「PEOPLE 1の世界」がベスト盤的なセットリストであること、そして、これまでの明確なコンセプトを持ったワンマンとは違ったものであることを告げる。しかしながら、コンセプトを持たないがゆえに露わになるものもある。たとえば、この会場全体を染め上げる赤色。“ラヴ・ソング”で歌われる《情熱》の赤? それとも血の赤? どちらにせよ、PEOPLE 1の体内にドクドクと流れるものを感じさせる色だ。この日はTakeuchiの髪色も赤だった。「赤髪のタケウチじゃん」「いや、どっちかというとユースタス・“キャプテン”・タケウチだと思う」――そんな、部屋でピザポテトでも食いながらくっちゃべる友達同士のような『ONE PIECE』ネタの会話も飛び出す。アリーナ規模のバンドになり、どれだけ『ミュージックステーション』で威風堂々とした演奏を披露しようとも、彼らの根本にあるものはきっと変わらない。むしろ変わらないために、PEOPLE 1は変わり続けているのかもしれないと思う。
Itoがセンターステージに移動して演奏された“ラヴ・ソング”は、切なくてあたたかかった。《国立府中から中央道とばせ/僕ら惨めなハイウェイスター》――この歌い出し、何度聴いても私は感動してしまう。《中央道》から《ハイウェイスター》への跳躍。これがイマジネーションだ。“GOLD”は観客たちの大合唱に包まれた。孤独と孤独が寄り添い合い、体温を分け合うようなあたたかさ。PEOPLE 1のライブだから実感できること。“新訳:スクール!!”はバッキバキにエッジの立った照明に彩られ、狂乱の盛り上がりを見せる。Takeuchiはセンターステージまで躍り出て観客たちを煽りまくる。さらに“ドキドキする”の新アレンジバージョン“新訳:もっと!ドキドキする”は、BPMを落とし、原曲の歌謡性をよりドープなダンスミュージック的なカタルシスに変換した見事なアレンジだった。まるで光と闇を一瞬で往還するような世界観。これぞ、PEOPLE 1の世界だ。そして曲名が告げられると歓声が上がった“メリバ”。最果てのラブソングが「2024年冬」に突き刺さる。
配布されたQRコードを読み込むと入手できる真っ赤なスマホの画面が観客たちの手元で光る中で披露された“DOGLAND”、そして“フロップニク”から“銃の部品”へ。レーザー照明に照らされ、ステージ上では火柱が燃え上がる。音も、色彩も、すべてを通じて、沈黙の内側にある精神の激しさがこの世界に剥き出しになる。そして“Ratpark”ではフィーチャリングシンガーの菅原圭が登場。彼女は最初、Deuの「頑張らない象徴」である椅子に座り、最後にはスタンディングで、Deuとデュエット……というよりは、もはや殴り合いのような怒涛の歌唱を響かせた。
ライブも終盤に入り、冒頭と同様、再びモニターを使った映像演出。次なる問いは「大衆音楽とは?」。その問いに対する様々な人々の答えはコラージュのように重なり合うことで、明確には聞こえない。しかし最後のDeuの答えだけはたしかに聞こえる。曰く「僕が言葉を紡げば、君と分かり合える。僕が歌を歌えば、君と話ができる。なんて素晴らしい。なんて嫌な気分」。気が付けばDeuはセンターステージにいる。センターステージ上にはデスクと椅子が設置されており、デスクの上にはパソコンと紙の束。きっと、Deuが作詞作曲を行うデスクをイメージした舞台セットだろう。そして、演奏されたのは“大衆音楽”。まだ音源化はされていないが、ライブでは定番の楽曲だ。メンバーの演奏をバックに、Deuはパソコンのキーボードを叩き、紙の束を繰り、頭を抱える。PEOPLE 1のライブで私は初めて観る、演劇的なエッセンスが昇華されたパフォーマンスだ。その演劇性は続く“怪獣”にも引き継がれる。曲が始まる前、産みの苦しみを抱えた自分自身の姿を再現するように、Deuは苛立たしげにパソコンをタイピングし、煙草を咥えるも火のつかないライターにまた苛立ち、溜息を吐き出す。「くそ……」彼の口から、そんな小さな声が漏れる。そしてはじまった“怪獣”を、Deuはほとんど歌っていなかった。バンドの演奏と共に流れるボーカロイドのような音声と、観客たちの合唱に囲まれながら、Deuはステージ上で紙の束を撒き散らし、暴れていた。床に紙が散らばる程に、彼が混乱に溺れていくように見える。なんてパフォーマンスだろう。鳥肌が立つほどに素晴らしかった。私が観てきた限り、ライブにおける“怪獣”はDeuの軋轢をそのまま吐き出すような生々しい歌唱が醍醐味だったが、生々しさも、繰り返せば予定調和になる。その予定調和を彼は許さなかったということだろう。DeuはPEOPLE 1の当事者でありながら、自分自身を徹底的に客観視している。生きるため、孤独から抜け出すため「伝わる」ことを求め、伝わったら伝わったで、伝わってしまう違和感に苦みを覚え、また作る。出口なんてあるのだろうか。それこそ自由なんて? わからない。自らの尾を嚙むウロボロスのように、孤独と理解は、希望と絶望は、堂々巡りする。その混乱すらPEOPLE 1は表現としてパッケージングしてしまえる。この日の“大衆音楽”から“怪獣”に至る流れは、PEOPLE 1の表現が新たなゾーンに到達したことを伝えていた。
そして“113号室”、さらに“idiot”が披露される。“idiot”は観客たちの歌声によって彩られた。“GOLD”、“DOGLAND”、“idiot”、そのあとに披露された“僕の心”――この日もたくさんの曲で、観客たちの美しい合唱が会場を包み込んでいた。孤独の歌をみんなで歌うこと。Takeuchiは“僕の心”の演奏前にこう語った。「僕の解釈だけど、“僕の心”は人を慰める曲じゃないんです。あれは自分の心の中にある、どうしようもなく悔しい気持ちや行き場のない思いを吐き出す曲だと思う。僕たちは君のことを理解できないし、君も僕たちや僕の苦しみを完全に理解することはできない。それを作者のDeuもわかっているんじゃないかなと思う。わかっていながら、ああいう曲を出したということ、あの曲をライブでやることの意味は、その場で、みんなで、やり場のない気持ちを吐き出すことに意味を見出しているからだと思う。悔しかったこと、悲しかったこと、誰にも理解されないことを、ここに置いていっていいだというメッセージだと思う。恥ずかしがらなくていいし、泣いたっていい。誰にも慰めてもらえないから、みんなで吐き出すことに意味があるんだと思っています」。
存在の震えや揺らぎ、その繊細に微動する輪郭を捉えるようなItoのアカペラで始まった“常夜燈”では、誰が指示を出すわけでもなく、観客たちがスマホのライトで会場を照らした。そして本編のラストは“魔法の歌”で締め括られた。アンコールでは“BUTTER COOKIES”、“イマジネーションは尽きない”、“エッジワース・カイパーベルト”の3曲が披露された。“エッジワース・カイパーベルト”の演奏前にDeuは言った。「PEOPLE 1は解散を前提に結成されたバンドです。でも、誰よりも僕はPEOPLE 1を愛しているので。かっこいいままで終わってほしいというのが、僕のわがままです。終わりが決まっているということは、準備ができるということです。せっかく決まっている終わりなら、なるべく楽しく盛大にやりたいと思っています。いつか来る終わりの練習を今夜、みんなとやりたいなと思います。一緒に踊っていただけますか? 僕とラストダンスを」――そう言ってはじまった“エッジワース・カイパーベルト”。Itoは「俺たちがいなくなっても、元気で生きていくんだぞ」と叫んだ。
これは前にも『続・LOVE2』と『さよなら、ぼくらのパーティーゲーム』のレポートで書いたことだが、「終わり」を知りながら生きていくことは、私たちが私たちの人生に真っ直ぐでいるために大切なことである。何事にも終わりはくる。その現実から目を背けるのはあまりに都合のいい話だろう。PEOPLE 1は私たちに「当たり前の生」の姿を思い出させる。孤独で、あたたかい、有限で、それゆえに尊い、一人ひとりのありきたりな生を。この日、PEOPLE 1は終わりの予行練習をした。しかし、それは悲嘆に暮れるためじゃない。自由を歌うことが自由でないことの証明であるように、終わりを表現することは、まだ終わっていないことの証明である。まだまだ、あがくだろう。
第8回本公演 "PEOPLE 1の世界" セットリスト
第8回本公演 “PEOPLE 1の世界” DAY1
2024.12.21(Sat) 東京・有明アリーナ
1. アイワナビーフリー
2. さよならミュージック
3. 鈴々
4. ハートブレイク・ダンスミュージック
5. ラヴ・ソング
6. GOLD
7. 新訳:スクール!!
8. 新訳:もっと!ドキドキする
9. メリバ
10. DOGLAND
11. フロップニク
12. 銃の部品
13. Ratpark feat. 菅原圭
14. 大衆音楽
15. 怪獣
16. 113号室
17. idiot
18. 僕の心
19. 常夜燈
20. 魔法の歌
<ENCORE>
21. BUTTER COOKIES
22. イマジネーションは尽きない
23. エッジワース・カイパーベルト